アート, プロジェクションマッピング
六甲光流クリスマスバージョンを終えて
「六甲光流」という作品の展示は、六甲ミーツ・アートとして9月15日から始まり、クリスマスバージョンとして12月25日に終了しました。
三ヶ月以上も、プロジェクションマッピング作品を展示するのは、僕にとって初めての経験でした。関係者のみなさんにとても感謝しています。
思い起こせば、6月頃、関係者から電話があり、六甲ミーツ・アートの参加が決まりました。六甲で2度目の展示だったので、個人としてはさまざまな苦悩がありました。なぜかというと、同じ場所でするということは、同じ人たちが見て、自分の以前の作品と比較されるということですから、厳しい目線が入ることが想定できるからです。
さらに、六甲ミーツ・アートが始まり、クリスマスバージョンの制作の依頼があり、どんどん課題やテーマが出てくることに、心地良い緊張感を得ました。
課題を乗り越えなければいけない、テーマを飲み込み自分の表現や強みに還元していけなければいけない局面がありましたが、結果的には自分の成長に変えられたと思っています。
それは、稚拙な表現や雑な表現であっても、強みに変えられるような捉え方、つまり力み過ぎない表現ということも身についてきた気がします。村上隆さんの本の中で、絵が下手だから現代アートをやっているという一節があり、その考えも参考になりました。
頭で考えていることが、なかなか体が対応できないことに対して、苛立つことはかつてありましたが、いまでは頭と体も同期してきた。または、自分自身の能力を素直に受け入れてたような気がします。
クリスマスというテーマも、一般的で商業的なものであるため、アート関係の人にとって、アレルギーがあるかもしれません。しかし、それもどのように捉えるのか、自分がどのような立場になるのかを考えていけば、受け入れることが出来ました。そういう柔軟性を作家は求められるんじゃないのかと、自問自答しているところでもありました。
肯定的にとらえる考え方の1つとして、六甲ミーツ・アートでは、32組の作家が参加しましたが、クリスマスバージョンでは、僕1人です。結果的にメディア露出も集中して宣伝して頂くことができました。美術展より、クリスマスの方がチャンスがあるという珍しい場合も立場の考え方によって作り出せるということです。
また、作品のネーミングを分かりやすくしたおかげで、テレビ(朝日放送 おはよう朝日です)にも作品名が紹介されることにも成功しました。
作家としての従来の考え方では、作家名が出ないことは深刻なことです。でも、それはある程度「小さなこと」だと僕は考えることにしています。厳密に言えば、”現時点”では小さなことだと。「僕がやったことに意味や価値がある」と言っても、社会は注目しないでしょう。作品や結果に対して、面白さや社会的意義、事件性を評価されることが、まず第一歩です。最終的に、いつかそれを誰がやったのかをたぐり寄せて頂ければいいと思います。
もちろん、アートのためのアートの場で名前がでなかったら、ただ利用されているかもしれません。
作家として評価されて、活動の幅が広くなっていくほど、他人のお金で制作するため、クライアントワークやテーマが設定されている機会が与えられるでしょう。そういうときの対応力もいずれ求められるはずです。そういう意味でも、今回はとても良い勉強になりました。
また、プロジェクションマッピングが流行しているの中、僕自身の個性や強みは何なのか?という問いが求められています。埋もれないためのマーケティング、社会の役に立つためのソリューション、そして、企画力の高度化などやるべきことはたくさんあり、僕は楽観的です。
2012年の六甲での活動を通じて、個人の表現、そして、作家としての立場も、ブレイクスルーが出来たような気がしています。
2013年も引き続き、活動をしていきたいと思います。よろしくお願い致します。
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