アート, プロジェクションマッピング
プロジェクションマッピングのオワコン化が始まってるのかもしれない
・面白くなかったという噂はもう始まっている
・作品の質は、玉石混淆
・手法自体が、実力以上に評価されている
・消費されて終わる日も近い!?
最近、プロジェクションマッピングという言葉が生まれて、建物やスクリーンじゃないものに映像をプロジェクションする手法が流行っています。
「最近プロジェクションマッピングをよく見ますよね!」と耳にすることがあります。
でも、正直言って、じゃあ今日見に行こうか!と言っても、すぐに見られるものではありません。規模が大きいものは、週末の1〜3日の期間限定で行われることが実情です。
また、youtubeなどインターネット上で、プロジェクションマッピングが手軽に見られることもあり、「よく見ます!よくやってます!」と思う人が想像以上に多い気がします。
そういった盛り上がりの中、プロジェクションマッピング作品が「実は面白くなかった」という話を徐々に聞くことが増えてきました。
僕は、てっきり好評だと思っていたので、驚きでした。
この状況は、「プロジェクションマッピング」という高下駄を履いて開催の機会が増えたが、質を問われるとすぐに金メッキが剥がれつつある。つまり、プロジェクションマッピングのバブルがはじけつつあるもしくはピークにあるような気がします。
その理由のひとつには、「見かける」から「鑑賞する」へ移行してみると、実はあんまりおもしろくなかったという話かもしれません。youtubeにupされている作品も、規模が大きく綺麗に撮影と編集がされているので、面白く見えてしまう可能性もあります。または、プロジェクションマッピングの数が増えたが、企画や質が伴っていないことが同時に増えたのかもしれません。
よく考えてもらえればわかって頂けると思いますが、建物に映像を投影すること自体が、とても面白いわけではないということです。
投資の用語で、ファンダメンタルズ(基礎的条件)という言葉がありますが、建物に映像を投影するだけでは、面白い基礎的条件や要素を十分に満たしていないと僕は考えています。つまり、いまの現状は、実力以上に「プロジェクションマッピング」が評価されていると考えられます。
プロジェクションマッピングでよくある手法ですが、建物が崩れたり、回転したりするように見せて驚かす映像は、僕にとっては単なるホラーにしか見えません。
なぜ、白いスクリーンではなく、建物というレイヤーを1つ増やさないといけないのかを考えていかないと、全然面白くないです。また、それは作者だけではなく企画者にも言えることだと思います。
いま、多くの人がプロジェクションマッピングをやってみたいと思うような瞬間だと思います。でも、立ち止まってなぜそれが面白いと思うのか考えなおさないとこのトレンドは短命に終わってしまうでしょう。
僕の個人的な考えでは、社会的な意義や意味を考えた企画、またはクシュシトフ・ウディチコのようにコンセプチャルで批判のある作品のように、作品として強度や完成度をあげていくことが、プロジェクションマッピングの成熟またはセカンドステージになると思う。
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