アート
展望台「六甲枝垂れ」のピラミッド指向
六甲ミーツ・アートが行われている六甲山には、「六甲枝垂れ」という展望台があります。2010年に新設されたもので、建築家の三分一博志さんが設計されたこともあり、面白いつくりです。
コンセプトは、「山の上に立つ一本の大きな樹」です。
僕は、訪れる度に、特殊な空間に浸っています。そして、なぜ特殊なのかと少しずつ気がついてきました。
展望台のはずが、不思議な点があります。
・風景を見晴らしやすい構造になっていない。
・内部の地下に入り、吹き抜けの天井を見上げる構造になっている。
高台にたつ展望台にも関わらず、不思議に思えて仕方ありません。
今回の六甲ミーツ・アート芸術散歩2012において、私は六甲ガーデンテラスの見晴らしの塔で作品展示をしています。
見晴らしの塔は、六甲枝垂れの近くに立っています。このあたりは、高台にあるため、昔から見晴らしの良い場所のようです。
しかし、この2つの展望台は、同じ展望台に関わらず、対照的な性格を持っている感じ始めました。
僕は、制作する作品の傾向からか、巨大建築にはとても興味を持っています。
「六甲枝垂れ」の特殊性に気がついた時、マグダ・レヴェツ・アレクサンダー氏の『塔の思想 ヨーロッパ文明の鍵』という本をすぐに思い出しました。
この本には、塔の定義が多面的に細かく解説されています。
明快な塔の象徴と物語を持つバベルの塔の紹介から「塔とは何か?ということが答えられるためには、なぜ塔ではないのか?が問われなければならない」と問いかけが始まります。そして、ピラミッドがなぜ塔ではないのかという問いにすぐにぶつかりました。
簡単に言うと、塔は天に向かう上方への指向をして、ピラミッドは地面に向かう下方への指向する違いがあると解説されています。
言い換えると、塔は天に向かって作っていったものですが、ピラミッドは何かを隠そうとして積み上がった、地面がせりあがったように、下部へもしくは内部へ向かうように作られたという考え方です。
一見同じように高さのあるものですが、その作られるコンセプトは、正反対ということです。
ある意味、理想は穴を掘って蓋をするところを、作業の合理性や象徴性を考慮していく過程で山という形が出来あがったのかもしれません。
そのような考察を前提に考えれば、やはり六甲枝垂れの魅力的な内部構造は、どうしても下部へ向かうピラミッド的な指向だと思います。つまり、周辺の景色を展望するより、秘められた内部へ向かうことに本当の魅力があると思えて仕方ありません。
「山の上に立つ一本の大きな樹」がコンセプトですが、私の考察からすると「巨木という小宇宙に秘められた世界へ」といったところでしょうか。
この話が、六甲ミーツ・アートや六甲枝垂れを楽しむ話題のひとつになれば幸いです。
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