アート, ビジネス

不器用だからこそ、続けることができる。

Posted on 2012-11-14

 

・可能性や選択肢が少なくなってから、見えてくる価値もある。
・うまくいかないことの方が、突き詰めれる。
・1つのことに集中できる才能は、プロフェッショナルの条件。
・不器用さの向こう側には、器用さがあるわけではない。
・器用さをうまく利用することと、社会化していくことのバランスが求められる。

美大を出て、大学院も出て、就職して、30歳にもなって、未だにアートをやっていると、「好きで得意だからこそこれをしている」というより「不器用だからこそこれしかできない」というのが、現実だと思います。

村上隆さんの新書『想像力なき日本』では、彼自身が世界で活躍するトップアーティストにも関わらず、宮崎駿さんや大友克洋さんのような画力がないから、マンガやアニメーションではなく、現代美術を行なっているとコンプレックスと言えるような一面を吐露しています。

たしかに、僕が画家を見ていても、よく毎日のようなキャンバスに迎えるなと思います。それは、得意だからやっているより、不器用だからこそあれだけの時間をひとつのことに費やせると思えてしまう瞬間があります。

もちろん、1つのことに集中できること自体が才能であり、プロフェッショナルである要素であるのは間違いありません。

プロフェッショナルという言葉を考えると、岐阜大垣ビエンナーレ2010に参加していたマーティン・リッチズさんの姿を思い起こさせます。喧嘩や不満を言う外国人アーティストもいる中、彼は作品の地道な調整を毎日粛々とこなしていく姿に尊敬の気持ちを感じました。

「全デザイナーが泣いた RT 朝から泣いた、、、> 美しいデザインができるまで」より

僕は、就職をして、デザイナーを経験したことがあります。企業の中には、非常に優秀で無名のクリエイターが多数いることを知りました。デザインというのは、代行ビジネスの一種であり、クライアントの希望をデザイナーが代わりに制作するという商売です。これは、器用さ、手数、スピードが求められます。だからこそ、お金にもなりやすいです。

つまり、デザインというビジネスは、不器用ではできません。向いてません。そして、どんどんと仕事をこなしていくので、自分という定点を見つめることも難しい気もします。

また、村上隆さんは新書『想像力なき日本』の中で、
「アーティストとして何よりも求められるのは、デッサン力やセンスなどの技術ではなく『執念』です」と語っています。

たしかに、不器用から器用になるより、不器用から執念を持ち継続をする方が、チカラになる気がします。また、上手さを競うのが、現代美術の基準ではないという考えもあります。デザインやイラストの方が、上手さを求められるでしょう。

いま、評価され有名になっているアーティストは、昔から同じことをしていると言われることがあります。本人ではなく、まわりの評価が変わったと思える場合があり、時代とのマッチングは続けることから生まれる利益だと思います。

しかし、不器用さを糧にすることと、社会に評価される条件は異なると考えた方が、僕は納得できます。

評価する社会やクライアントへ如何にして歩み寄れるか、言い換えると如何にして社会的意義やクライアントの期待に答えるのかが重要になってくると思います。

僕は、毎日盲目的に制作を行うスタイルではありません。もちろん、トレーニングやシュミレーション、プランニングは、日々行っていますが、求められて初めて作り出すことの方が多いです。または、よほどの狙いや企みが無い限りそうなりますね。これには、作品の規模や経済的な面も関わっています。

不器用さをうまく利用することと、歩み寄るつまり社会化していくことのバランスが求められるというのが僕の考えです。

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