アート, 日記
僕が、メディアアート、メディアデザインを始めた理由
なぜ、いまこんなことをやっているのだろう。その疑問は、私だけではなく、みなさんもたまに気がつくことだと思います。
私は、大学、大学院で、「メディア」と名前がつくコースに進学してきました。
メディアデザイン、映像メディア、メディア表現、メディア美学など、言い方はさまざまですが、メディアというものがついています。
振り返ると、僕が美術系の大学に行こうと考えたのは、中学生の頃です。両親は、舞台関係の仕事をしていて、美術や芸術の学校に行く事はあまり抵抗はなく、漠然とそういう道に行くんだろうなと考えるようになっていました。
中学生の頃は、多感でいろいろな事に目覚めていた時期にもなります。最も熱中していたことは、ファッションでした。
ファッションを消費するというより、ハイファッションを見ることに興味が向かっていました。
雑誌の「装苑」やテレビ番組の「ファッション通信」を、暗記できるぐらい何度も見ていましたね。
その頃は、DCブランドが盛り上がり、ベルギーファッションが脚光を浴びている時代だったので、アントワープ王立美術学院に行って、リンダ・ロッパやウォルター・ヴァン・ベイレンドンクの下で学びたいと夢見る時期もありました。
コンバースのALL STARを履いて、ラフシモンズのハイスクールパンクのスタイルをすることにあこがれていました。
そういうこともあって、僕がまず最初に美大で選んだコースは、ファッションデザインでした。ある意味、ファッション業界的には外道な歩みだったし、高倍率で合格しないこともありましたが、徐々に違和感を感じ、気付きが生まれてきました。
大好きな「装苑」には、誌面に登場する対象が全く同じであっても、ファッションデザイナー特集、メイクアーティスト特集、フォトグラファー特集という括りで切り取られて伝わることがあります。僕が見ているファッションは本当のファッションなのかという疑問が出て来ました。
そして、動画の「ファッション通信」より、雑誌の「装苑」が好きなんだなということに、気がついていきました。服は、人が身に着けて動くものですが、「装苑」に出てくる静止画の完璧な瞬間が好きだったんですね。
もちろん、ファッションは好きだったんだけど、結局、「装苑」の媒介体験が好きだったんだなと思うようになりました。
「装苑」の特集で切り取られるのも、ファッションという素材を生かすも殺すも誌面の編集次第だなあと薄々気がつくようになったんです。それが、媒体を編集するという意味でのメディアデザインという概念を意識する初めての体験でした。
もし、パリコレのオートクチュールを生で見る体験があれば、僕の考えは変わっていたのかもしれませんが、生で見れる人の方が少数で、多くの人々は、メディアを通して媒介体験するわけです。
ファッションよりメディアの方が、創作の上流にあるんだと思い込み、メディアデザインのコースに進みました。
先生は、ダムタイプやインタラクティブアートの専門で全然違いましたw 誤算でした。メディアアート、ビデオアートという業界があることがわかりました。
まあ、これも人生だろうと受け入れていこうと思いましたが、中高生の頃の思いは、広義には全く間違っていなかったと思えるようになって来ました。
みなさんも、なぜ今の仕事や制作を始めたのか、聞かせて下さい。
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