日記

原発とめろハッシュタグ

Posted on 2011-07-25

ツイッターでは、「#原発とめろ」という言葉を
見かけることがあります。

危険な原発を認める人は、日本にはいません。
一部の感情的、過激な人が広めているのでしょうか。

俳優の岡本太郎さんが、佐賀県庁で抗議を行ったとき、
「知事出てこい!」と言ったのも、
これもまた私には印象的でした。

この言葉の共通点は、命令形です。

これは、笑い話に聞こえるかもしれませんが、
出てこいって言われて、出て行く馬鹿はいません。
もちろん、感情的だったと言えば、
発言者の立場も理解も出来ます。

ただ、感情的な行動だけで、
原発をとめることはできるのでしょうか?
そして、とめるためには、その考えを
人に理解され人に行動を促すという膨大なエネルギーが
必要とされるでしょう。

命令形で実行力があるのは、特殊な条件に限られます。
組織の中で上下関係があり、
雇用と生活が担保にされている状況。
もしくは、非常に尊敬している人に言われた場合でしょうか。

多くの場合、本当に命令が通じることは少ないと思います。
雇われていても見せかけだけで動いて、
大して働いていない場合もよくあります。

短期的で見せかけだけであれば、
命令や高圧的な態度でも機能するかもしれませんが、
長期的に成果をあげようと思えば、
他の方法が必要です。

本来であれば、相手に貢献をしたり、
お互いの立場を理解してするべきでしょう。
そこには、命令形の言葉は必要ありません。

命令形では、人は動かないと
「#原発とめろ」を見て思いました。

そして、もうひとつは手法的な話です。

もし、日本が、一部のイスラム世界のように、
民主化されておらず、独裁的な政治が行われ、
国民の権利が著しく損なわれている国家でしょうか。
もし、そうであれば、暴力が伴うかもしれませんが、
ソーシャルメディアによる革命は可能性を持っています。

しかし、日本には国民の権利を要求するだけの
然るべき方法があるはずです。
もちろん、制度的な不備があると思います。

具体的には、原発に反対する政党や政治家をたてる、応援する、
署名を集めて権利を主張するといった方法が考えられます。

だから、私は、「#原発とめろ」を使う人たちには、
本当にとめたいんだろうか?という疑問を感じます。

もちろん、現在の悲惨な状況を憂いでいるのでしょうが、
あまり、実現性の低い手段を実行しているので、
ある意味不満を言って気を散らしているように
思えて仕方ありません。

命令形を使う人、感情的な人は、
話や交渉する相手にはなりえません。

本当に実現したいのであれば、
理性と権利をもとに、
落ち着いて考え行動してほしいと思います。

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