日記

「貧乏へのススメ」

Posted on 2012-10-21


イケダハヤトさんが、ブログ記事「貧乏=自由」の中で、次のように答えています。

「うちの夫婦は、とりあえず200万円も現金があれば、税金や年金も払いながらなんとか生きていけそうです。実家暮らしをしたり、減免制度を利用すれば、夫婦二人で150万円以下でも生きていけると踏んでいます。」

ここまで、はっきり言われると驚きです。家計簿を見てみたいですね。

年収の大きさではなく、収支がどれだけプラスになるかが重要なので、あまり贅沢な暮らしを望まなければ、いっぱい稼ぐ必要はないし、収入が少なくても備えれるはずです。

そして、イケダハヤトさんが言いたいことは、「必要以上のお金を稼ぐために、無理しすぎていないか?」という主張です。

この考え方には、僕も賛成です。

彼は、会社を辞めて、プロブロガーをしているので、その考えを実践しているところだと言えます。

僕は、実家暮らしをして、最低限の労働(収入目的の活動)しかせず、創作活動をしているので、この主張に近い生活をしています。

ところが、イケダハヤトさんの意見には、少し疑問を持ちました。

僕の経験則ですが、貧乏だと心にも余裕がない場合があり、このようなスマートな考え方を持つことは、稀な気がします。貧乏な人には、貧乏な理由があると考えれるのが自然です。価値観や感覚のズレ、そして貧乏からくる渇望のような思いが浪費を促す等、貧乏になるサイクルがあるような気がします。

僕も、ビジネスやお金の勉強をしてきたので、収入が少なくても、豊かさを確保する方法を知っているつもりです。そして、貧乏であっても、心の貧しさを防ぐために、勉強や知識は必要だと思います。

また、ワーキングプアと言われる貧乏は、お金を求めて働き過ぎているわけではなく、単に時給が低く、給料が低いケースが多いと思います。

そのため、この「貧乏=自由」は、能力が高く、稼げる能力を持っている人へ貧乏を進めているような気がしますね。

そして、このある種の「貧乏へのススメ」は、ひとつの気づきだと思います。

通常、貧乏は不自由なはずで、お金が自由を生みます。しかし、自由を求めるという目的を忘れて、ただお金を夢中に際限なく求めてしまうと、お金に囚われた状態になります。イケダハヤトさんのいう「貧乏=自由」という常識ではない、逆の構図が浮き上がってしまう可能性がありますね。

お金の貧しさから開放されるには、やはり心や知識の貧しさから開放される方が先だと思います。なぜかというと、考え方によって、人間の欲求は際限なく、お金がどれだけあっても足りません。

そして、大人になり働き始めると、ストレスのない生活を増やすことが、健康や寿命にも関わると思うようになってきました。そういう意味でも、「無理し過ぎない」というのは、重要だと考えるようになってきました。

これは、僕の非常識な考え方です。新卒で年収350万円、30代で500万円、40代で600万円と年齢と共に年収を多く目指すのが、普通でしょう。しかし、年収300万円で週5日勤務、週4日、週3日、週2日そして、最後は週1日勤務で300万円と、年収は固定で徐々に働く時間を減らしていきたいと、僕は持っています。あいた時間は、自分な好きなこと、すぐに儲からないがクリエイティブなことをしたいと思います。

「必要以上のお金を稼ぐために、無理しすぎていないか?」
それには、まず準備または条件が求められると思います。
(1)能力や知識に対する貧しさから解放される
(2)余った時間やお金で何をしていきたいのか?に対する答えを用意する

そうでなければ、無意識に「心が亡い」と書く「忙しい」を望んでしまっている人も多いのではないでしょうか。

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