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映画『exit through the gift shop』を観て

Posted on 2011-07-21

バンクシー 監督の映画
『exit through the gift shop』を見てきました。
テアトル梅田にて『100,000年後の安全』に続き、
良い意味で裏切られてた作品です。

音楽に例えれば、 ト長調からホ短調へというように、
転調のような内容の展開に戸惑いと結末への驚きがありました。
しかも、そのメッセージは私の中で未だ咀嚼しきれていません。

私にとってバンクシーは、
ダミアンハーストと並ぶ世界から注目を集める
イギリスの現代美術アーティストという位置づけでした。

この映画の主要人物であるティエリーが、
いとこのグラフティーアーティストの制作現場を
記録することから始まります。
そして、多くのアーティストの活動記録をすることになります。

しかし、グラフティーアーティストというものが、
どういった心情で活動をしているのかは、
全く理解していませんでした。

もちろん、彼らの行っている落書きは、犯罪行為です。
他人の建物に勝手に絵を描いているわけですから、当然です。
街は自分たちの物だ!というような社会に対する反抗
というメッセージもあるようですが、
実際にはカッコいいというより、非常に地道な作業です。
そういう意味では、美術と地道さは変わらず、
リスクはこちらの方が大きいです。

どういった制作をしているのかは、
僕にとっても非常に興味深いことでした。

行動がばれにくい夜中に活動し、
ひとつひとつ落書きを増やしていきます。
しかも、同一のイメージを繰り返しすることで、
市民の無意識に訴えかける、つまりサブリミナル効果のような
見られるか見られないかわからない
微妙な展覧会を彼らは続けています。

しかも、翌日には、 消されている可能性も高いため、
記録の重要性を感じていました。
ティエリーは、彼らのニーズにマッチし、
記録を増やしていきます。

単なる悪人や無法者とは、また違った印象をうけました。
彼らは、数年もかけて同一のイメージを、
都市を替え、大陸を渡って、増やしていきます。

手は器用だが、非常にアナログで、
手際の良さと逃げ足の速さが求められる。
しかし、案外無防備だが辛抱強い、
かなり特殊なアーティストたちです。

ティエリーも、アーティストを追って撮影しつづけ、
ついに、バンクシーと出会うことになります。

バンクシーは、
イスラエルの隔離壁にメッセージ性の強い作品を制作し、
注目を集め始めていました。

そして、現代美術のギャラリーやオークションも、
グラフティーアートが取り扱いされはじめ、
作品が数万ドルで販売され、彼らの環境にも変化が訪れました。

彼らにとって、パブリックからソーシャルへステージがかわり、
しかも、金にもなるチャンスでもありました。

ティエリーとバンクシーは、
すばらしい信頼関係が築いていくのですが、
バンクシーは、彼にさまざまな助言を始めます。

実のところ彼は、
コンプレックスで、撮影をし続けていて、
決して、監督としての能力を持っていませんでした。

バンクシーは、彼に作品を制作すること、
つまり、アーティストになることを勧めます。

しかし、その助言の真意は全くわかりません。
ただの思いつきで言ったように見えました。

ティエリーは、その言葉を信じて、
彼なりにミッションを遂行しようとします。

コンプレックスの撮影行為と同様に、
その実行力と方法に異常さがありました。

ティエリーは、
グラフティアーティストの現場のすべてを知っていました。
制作の手順もイメージの展開などのケーススタディは、
記録する中で、十分に行われていました。

しかし、中身が空っぽだったんです。

他のアーティストの真似はできても、
制作や表現の根拠やコンセプトがないわけです。
イノベーションや芸術の新規性は生まれません。
もし、生まれるとすれば、模倣し続ける表現としてですね。

作品に対するHOWは出来ても、WHYは無いんです。

ただ、私たちが、何かに応募や審査を行う時は、
一定基準の評価を得たいという思いがあるはずです。

逆説的に言えば、現実の社会では、
何が良いか悪いかということは、
いますぐにわからないことが、ほとんどです。

偉い先生が良いと言った、賞をとってる、
作品のキャプションを見たら有名な人だった。
という理由から、すごいんだろうなと思うことは
経験としてあるでしょう。

したがって、WHYの無いそして一朝一夕で生まれた
アーティストの評価なんてものは
わからないという現実があります。

もちろん、美術関係者ならわかるだろうと思いますが、
偉い先生が良いと言った、つまりバンクシーが
推薦したというメッセージにより、
評価を惑わすようになっていきます。

ティエリーは、
ミスターブレインウォッシュ(MBW)という
アーティスト名を名乗ります。

そして、いきなりバンクシー級の大規模な展示を行うという
大風呂敷によって、一流アーティストの要素は整っていきます。

そういう事態に対して、
バンクシーは、言葉をつまらせ、唖然としていました。
彼にとっても予想外の動きを
ティエリーはしたということでしょう。

映画の冒頭で、バンクシーは、
自分のことよりティエリーの物語の方が、
おもしろいというような紹介をしたと思います。

ティエリーの物語は、
作品に対する人間の評価、作品の価値、アートマーケット
というものが、実は非常にやわな構造である
という問題提議として、私は受け止めました。

しかし、変調といったように、
グラフティアーティストのアーカイブから
アート業界への問題提議という急激な流れは、
監督のバンクシーも、この映画の意味を手放して、
曖昧さを楽しんでいるような雰囲気も感じられました。

人が死にそして救われ感動する
ハッピーエンドという結論のある映画ではなく、
『exit through the gift shop』では、
曖昧さをたしなむものなのかもしれない。

そして、観客は、映画館から出れば、
まずMBWを検索するでしょう。

これは、本当に事実なのかという確認作業をして、
この映画は、MBWの未来への余韻を残して、
私の中で幕引きとなりました。

公式サイト『exit through the gift shop』
映画『イグジット・スルー・ザ・ギフトショップ』予告編 Youtube

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